the scent of Jasmine ~ Akiko Endo Essay Blog

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9.16.2021

Essay note September 2021

晩夏から初秋へ、秋の気配を感じるニューヨークからお便り申し上げます。
アメリカ同時多発テロから20年、米国の新政権はアフガニスタンに駐留の治安部隊の撤退を行い、一つの終止符を打つ形になりました。それはまた新たな、より複雑な世界情勢へと導くものかもしれません。
20年後の今、はっきりと先を見通せない状況にあって、複雑な気持ちで、9/11メモリアルに立つ『復活の木』に思いを運んでいます。もし歩いて行けたらと、もどかしく思いながら。
ありのままに、20年を振りながら、自分自身が直面する様々な事を通してその思いを綴りました。窓の外からは、プールサイドの賑やかな声が聞こえてきます。白い帆とモーターボートが描く白波の稜線を描いて、最後の夏期休暇を満喫しています。
夜半には虫の鳴く声が聞こえてきます。皆様の息災をお祈り申し上げます。


《Survivor Tree、もう一度》
― もう一度、まめなしの木の下で、20年前に思いを馳せ、
今、克服し難い新たな苦難の中で、もう一度越える力を漲らせたい ―




​夏の深い緑の葉と、白い花をつけたマメナシの木。
9/11メモリアルに立つ、ニューヨーカーの再生の力の象徴『Survivor tree』。
真夏の空の下で一昨年より背が伸びて、午後の強い陽射しの下で爽やかな風を送り、訪れる人々にひと時の涼を与えている。
昨夏、コロナ禍で閉鎖されていた9/11メモリアルに訪れる人はなく、ひっそりと立っていた。
地球上の人々が見えないウイルスと闘い、ウイルスの侵略に生命を奪われていく様を見つめながら、悲しい気持ちを、ひたすら枝葉を震わせる風音に込めていたに違いない。
このマメナシの木は、20年前グラウンドゼロで生き残った、たった一本の木。テロの攻撃を受けた世界貿易センター敷地、焼けただれた残骸の下から救出されたのである。
史上例を見ない航空機ハイジャックによる、アメリカ同時多発テロから20年が経つ。
夢のように走り去った歳月を振り返れば…
アメリカ同時多発テロに端を発した中東諸国の紛争は長期化し、実際には何の解決も見出せず、
民間人を巻き添えにしながら、武力と武力の闘争が続いている。
政治闘争、領土問題、海域領有の紛争、部族間の衝突、宗教対立…
人間が引き起こす紛争は、地球上から止むことがない。
追い打ちをかけるように、闘争の隙間に入り込んだ新型コロナウイルスの出現は、世界中の紛争以上に地球規模で闘うレベルとなり、地球上に生きる存在を苛めている。
誰も想像しなかった未来が此処にある。つくづく思う、人間の予想と想像をめぐらしても、未来の現実は必ずしも予想と想像を確かにしないだろう。

≪人生の分岐点となった、9/11同時多発テロ≫
今振り返ってみると、あの時の心の痛みを克明には思い出せないが、9/11は私個人にとって、新しい航路へ舵をきるきっかけになった。この航海マップを変える事は並大抵ではなかった。しかし一日足りと、どんなに手探りの中でも諦めずに、ひたすら前に向かうしかなかった道のりだった。
硝煙があがり、焼け焦げた匂いが漂う爆心地で、真っ黒になって昼夜を問わずに残骸を片付ける人々、毎日毎日、残骸から見つけられた遺品や遺体の一部を棺に納め、星条旗を棺にかけて爆心地から運び出す…周辺の人々は、鐘の音を合図に黙祷をして見送った。
数か月後に初雪が舞い降りた。
私は、金網が張り巡らされた爆心地で、舞い降りる雪の中に立っていた。
優しく舞い降りる雪に静かに癒されながら、
『いつの日か、この残骸が片付けられて、この爆心地が見事に生まれ変わる日が来るのだろうか?』
この惨状の前にいて、それは悲しくも途方のない想像の世界だった。
『ここが生まれ変わる頃、復興する頃に、私はどんな人生を歩いているのだろう。』
― 20年後の今日、爆心地は見事に復活を遂げた、いや見事に新しい慰霊の空間に生まれ変わった。今、ここ爆心地に、私は居る。――― 9. 11、2021  ―

≪自らの“復活の旅路”は、カンボジアのジャングルから始まった≫
静かに自分に向き合いたく、アジアの果てのジャングルを訪れた。
果てしなく広がる深い緑のジャングルと、底抜けに青い天空が広がっていた。
まばゆい太陽の光を受けて輝くような映像となって、その光景が私の心に去来する。
ジャングルの息使いを感じる静かな時が流れる、ニューヨークの爆心地とはかけ離れた世界だった。立ち寄ったタイで、チャオプラヤー川岸のマンダリン・オリエンタルホテルのバルコニーからただ川面を眺めていた。生温かい南国の夜風に吹かれて、ブーゲンビリアの花が揺れていた。
あの一瞬一瞬から感じ取ったインスピレーションが、その後の生き様を運命づけたと言える。
生きる意志と力、引き寄せられるようにこの旅先で様々な出会いがあった。
私を支えてくれた多くの人々との、不思議な出会いがあった。
あの途方にくれそうな時に支えてくれた、かけがえのない大切な人々だった。
20年間の時の刻みを共にしてくれた大切な人々は、私よりも先に遥かな宇宙(そら)に旅立って逝った。それぞれの人生のドラマを書き終えて逝った。共にした情景が鮮明に蘇ってくる。
あの時この時、笑い声や語った言葉、声や表情までもありありと浮かんでくる。
とても懐かしくて、もう一度会いたい思いにかられることがある。
どの人もなくてならない存在だった。年を重ねる毎に、人生を象ってくれた素晴らしい人々に感謝は尽きない。時々、実在のない淋しさ、埋めようのない心の空白を感じる時があるが、心の中に生き続けている。もう一度、あの復活の原点に戻りたい。

≪20年後、次のChapter≫
もう一度、マメナシの木に向かい合おう。




一本の木に過去と未来の枝が分かれて育ったように、生き残った木、もう一度あの再生の力に触れよう。

パンデミックの始まりと重なるように、小さな人生の最終章の1ページが開かれた。
その1ページは想像を超えた、厳しい現実を越えていかねばならない試練の章である。
登山に例えれば、その頂きを間近にして、初めてどれほど厳しい頂きを持った山だったか思い知るような感じである。この頂きは、並大抵な精神では上りつめられないかも知れない。
メモリアルの傍を車で通る時に、私はマメナシの木を見つめる。
車で走るほんの瞬間にみると、緑深く茂り、大きくなっているように見える。
もう一度、Survivor Treeと語ろう。
『私は生き続けている。空に向かって、手足を伸ばして成長し続けて、生きているよ。』
『私は蘇った命の木だから、復活と生命力の象徴になった。9/11メモリアルに生きる場所を与えられて、人々の心の励ましの存在となり、この小さなスペースに立って、生きている。それだけが私の使命、共に生きよう。』と、そよいでくれるに違いない。    

from Akiko Endo, September 11, 2021.