the scent of Jasmine ~ Akiko Endo Essay Blog

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11.05.2016

The Survivor Tree


一本のマメナシの木が爆心地に立っている。訪問者はメモリアルを訪れると必ずここで足を止める。

私達はこの木を【Survivor tree】と呼んでいる。焦土と化した世界貿易センターの瓦礫の下で、焼けただれて横たわっていた木である。爆心地の凄惨を物語っていた。ブロンクスの公園に運ばれて、9年の歳月ニューヨーク市公園管理のチームによる手厚いケーアを受けて蘇りました。 

そして、追悼の祈りを捧げる National Memorial に復活を象徴する木として戻ってきました。

この木は、2001年を境にした過去と現在を表している。
枝を失った跡が瘤のようになっている、その瘤から伸びた新しい枝は現在と未来を表している。

「一本の木の命の刻みに、過去と現在を身に晒して、今もメモリアルに立っている。」

生き残った木は、生き残った者に生命の力、復活の力を伝えている。この木に三つの言葉が添えられている。

 Rebirth, Resilience, Survival,

人々はこの木をなぜかSheと言う。Heではなく、She やはり女性は強く、生命力の象徴なのです。

Essay Survivor Tree


私は貴方がブロンクスの公園の一角で瀕死の淵をさまよい、看護を受けて療養していたなんて知りませんでした。

貴女が戻るまでの9年間、私もまた復活の旅路を歩いていました。

焼けただれた残骸が山のような爆心地で、目の前で散っていった人々の命が消炎を上げている跡地で 

一体、何故自分がここにいるのか、
焼け焦げた匂いが充ちているこの場所にいるのか、
何故生きているのか

思い出しても、思い出しても
あの時の心境を表す適切な言葉は見つからない
15年後も見つかっていない 

ただ、今生きている事、何かに向かって生きているのであろうと、それだけを感じている。

貴女の幹に露わな傷痕がある。
2001年の9月11日にあなたの腕である枝が無残にへし折れた痕が瘤のようになっている。

この瘤を見るといたたまれない思いがこみ上げるのです
そこから伸びた新しい枝は、今の此処にいる私です。

2001年が過去と現在との分岐点
あの、枝が折れた生々しい傷跡も私の中にあります。
心の中にまだ、ありありとツインタワーも存在しています。

貴女が手厚い看護を受けて蘇えり、9年後にグランドゼロのメモリアルに戻ってきた。
生き生きとして新しい枝に緑の葉をつけて、
風にそよぐ貴女を見て、おおらかさと不屈の精神を感じました。

過去と現在と未来を身に表して、今もメモリアルの犠牲者たちを見守っている、そして未来の希望の木として存在し続けるのでしょう。

初夏の風の中に立ち , 夏の炎天下に立ち、
秋の優しい日差しの下、晩秋になっても葉をつけていて、
やっと葉が落ち切った立冬に、裸木となって、木枯らしの中に、雪降る中に、いつもそこに立ちつづけている。

新しい枝は未来に向かって伸び続けている。
そして未来の人々に、希望の木として生き続けるのだと信じる。

未来にこの悲惨な出来事を知らない人々が、此処を訪れれば、貴女は誇り高く、そよいで、希望に生きよと、そして命あればこそと、思いを風に運ばせるのであろう。

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動画は、2016年6月28日北海道札幌時計台にて行われたピアノと詩の「香りとアンビシャス」の一部収録です。