the scent of Jasmine ~ Akiko Endo Essay Blog

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『サンデー毎日』(2010.05.23号)

 『サンデー毎日』(2010.05.23号)から取材を受けました。

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<内容>
起業の鉄人 連載141
ポートフォリオ・ワン―遠藤明子代表
米国の同時多発テロが転機に香りに魅せられアジアで起業

 2001年の米国同時多発テロ事件が「まさに人生の転機」になった。
 ニューヨークを拠点にファッション業界で活躍してきた遠藤明子さんは、事件をきっかけに「香り」でヒトを癒す異業種のアロマ事業に乗り出した。

 自らもテロで崩れ落ちた「ワールドトレードセンター」近くの自宅で被災した。
「いったん死を覚悟しました。これまでの人生がフラッシュバックのように頭をよぎりました」
 爆風で覆い尽くされ、悪臭を放つ煙が立ち込める中、ビルの18階から、命からがら脱出したという。
「巨大なビルの崩壊を目の当たりにして、形あるモノのはかなさを実感しました」
 一方で、大勢の人が事件現場で救助活動に当たるなど、改めて人間の心の優しさに触れたと語る。
「煙が立ちこめ逃げまどう途中に、見上げた空の青さが目に焼き付いている」
 地上での大惨事とは裏腹に、仰ぎ見た雲一つない澄み切った空のコントラストが忘れられない。

 事件後、自らもボランティアの参加した。気が付くと、これまでのファッションという生き馬の目を抜くような世界に違和感を覚えるようになっていた。
 ボランティア体験などを通じ、「優しさは、決してもろいものではない」と確信する。「むしり対価を求めない優しさには、どこまでも貫く強さがある」

◇ ◇ ◇

■ボランティアで体感 モノ中心から人の心へ
 違和感は、やがて自らの生き方を変えるまでになった。「物質的なモノではなく……。もう一度、人生を見つめ直してみよう」
 2004年08月にタイとカンボジアを巡った。自然や地元の人との触れ合いを通じ、アジアの大地がはぐくむ活力を体感したという。滞在したホテルには毎日、ジャスミンの花輪が枕元に置かれ、香りで心身共に癒された。
「目に見えなくとも、香りには人を癒やす大きな力が秘められている」
 半ば衝動的に、香りで人を癒やすブランドづくりを思い立った。また、それは営利目的だけの起業ではなかった。
「アジアでの展開は人的支援など幅広い意味がある」
 貧困などの社会問題をボランティアやNPO(非営利組織)とは異なるビジネスという観点から解決したいと考え、「ポートフォリオ・ワン」を設立した。
 タイでアロマなど原材料を扱う研究所と、生産拠点を兼ねたラボラトリーを紹介された。
「従業員数が約30人と、ほどほどの事業規模のラボラトリーだからこそ、良い関係が築けると考えました」
 さらに「生産者とお客様の気持ちが通い合い、自然成分を生かした製品づくりが私たちのブランドの特徴」とも。
 2007年にアロマブランド「LA LUMPINI(ラ・ルンピーニ)」を立ち上げた。タイを生産拠点に東京をはじめ、全国各地の専門店や百貨店などで販売する。ラインアップはオードトワレや室内を香りで満たすルームフレグランス、せっけんなど、女性が日常で頻繁に使う5種類の香り、6アイテムに及ぶ。

■精神的な充足感を求めアジアの女性に託す未来
 将来は国内のみならず、アジア市場での事業展開を目指している。ただし、展開を決して急がない。経済成長の著しい中国ですら、沿海部と内陸部とでは貧富の差が激しい。欧米型の大がかりな宣伝一辺倒ではなく、女性の口コミネットワークを生かすといった、独自のアプローチで浸透を目指していくという。
「各国の社会背景は異なりますが、アジアは確実に豊かになっています。物質的な需要だけでなく、精神の充足が求められるようになります」
 自然成分を生かしたパーソナルケアは将来、必ず受け入れられると展望する。
 最終的にはアロマなど商品だけでなく、女性が精神的に充足できるような衣、食、住……あらゆるライフスタイルのシーンに対して、商品開発や企画を提案できるようになればと意気込む。

◇ ◇ ◇

 ファッション業界でキャリアを積み重ねてきた。デザイナーを振り出しに、20代で企画会社を設立。1982年には単身ニューヨークに渡り、国内百貨店の現地駐在部長を務めた。
 当時を「タイミングが良かった」と振り返る。
 高度経済成長による百貨店の事業拡大に伴い、アジアや米国など、さまざまな仕事の現場に携わってきたという。
 華やかな半面、常にマイノリティーとしての苦汁をなめてきた。そして、同時多発テロ事件という時代の巡り合わせに遭遇した。
 自身を見つめ直そうとアジアを巡り、ジャスミンの香りに出合った。現在、携わっているビジネスは営利だけでなく、経済支援や社会貢献など幅広い目的があるという。
 自らのライフワークの最終地点を「生かされていることに感謝し、アジアの大地に根付いて活きる人々の技術や伝統のサポート」と見据える。