the scent of Jasmine ~ Akiko Endo Essay Blog

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12.26.2013

Winter

 感謝祭の頃、住まいの小さな庭に、恒例の冬のファンタジー、クリスマスのイルミネーションが灯ります。




 初雪、静まりかえった朝でした。ベンチも寒そうですね。




 ヨットハーバーにアイススケートリンクが設置されました。晴れた日にハドソン川縁で自由の女神を遠くに眺めて滑ります。




 吹雪でも、はり切って滑っている子供、吹雪でも喜んで走り回っている愛犬達、大人は誰も出て来ません。静かな世界。




 雪が止んだ夜。凍った空気にイルミネーションが一層輝いて見えます。




 クリスマスデーの日没、自宅の窓より、自由の女神が見えます。




 ロックフェラーセンターのクリスマスツリー。




Photo by Akiko Endo

12.24.2013

Ground Zero 12years "グランドゼロ 12年目の冬"

  
  
 
 2013年が終わろうとする、ある日、実に12年振りに勇気を振り絞って、グラウンド・ゼロの地下、開通したばかりの地下通路、<ワールドトレードセンターの地下道>を通りました。

 

 2001年の9月11日、救援にかけつけた消防士、ボランティアー達が落命した現場です。12年という歳月が生々しい惨状の記憶を薄れさせましたが、実際に現場を通ることは勇気が要ります。
 

 
 心底に眠っていた慟哭が呼び起こされるのではないかと、不安がありました。気が紛れるように、いつか友人たちと一緒に通ろうと決めていたのですが、いずれ一人で歩かなくてはならない、一人で一歩を踏み入れようと、大きく息をして、真新しい深い地下道へ通じるエスカレーターに一歩を踏み出しました。。。

 エスカレーターに乗ったからには下りるしか道はない。そして恐る恐る、祈る気持ちで、長い地下道を歩きました。将来このコンコースには有名ブランドのショップやレストランが入る予定ですが、真っ白な大理石のコンコースは冷たい霊廟の地下を歩いているように感じました。

 しかし、この地下道を平静に通り抜けることができたのは驚きでした。否が応でも崩壊前の賑やかだった地下街の様子が懐かしく蘇ってきましたが、冥福の祈りを捧げながら歩きました。
 此処で人生が閉じて、今は忘れ去られた人々に。


 今日は雪が降りました。



 9.11の惨事の年の冬、ビルの残骸で作った鉄の十字架に慰めるように白い雪が優しく降りかかっていました。その光景がありありと目の前に浮かび上がってきました。あの時は先が見えなかったけれど。
 前に進もうと、小さな努力に未来は新しい変化をもたらしてくれました。毎日、避けていた小さな事でも向き合って一歩を踏み出して、小さな変化を起せば自分の明日が変わる。残り少なくなった日々を、そう自分に言い聞かせて過ごしております。

 新年に皆様との再会を楽しみにしております。

 白雪舞うニューヨークより、感謝を込めて。

December.2013
Essay&Photo by Akiko Endo

11.07.2013

Late Autumn



Photo Gallery "Late Autumn"

Photo by Akiko Endo
from NY

9.11.2013

12年目の9.11

本年も9月11日がまいりました。

今回は、先日、(株)組織デザイン代表の松崎俊道さん著『実話で迫る壁の越え方』にて紹介されました2つの詩を記させていただきます。
ブログへの掲載許可を下さいました、松崎先生に感謝申し上げます。
 


「大惨事から生き残ったあなたへ」

そのとき、すぐ目の前の
高層住宅に住んでいた。

ワールド・トレード・センターが、
ゴオー、ゴオーと恐竜の断末魔のような
叫び声をあげて崩れ落ちていった。

爆風は容赦なくビルを覆いつくす。
雨のように落下してくる残骸物。
書類や写真などが
宙を舞うように、とめどなく落ちてくる。

すべての電源がダウン。
地下にはガスパイプラインが幾重にも通っている。
このビルも崩壊する恐れがあった。

死を覚悟した。が、遺書は残せない。
きっと灰になってしまうだろう。
携帯を使った。
留守電に遺書めいたことを残した。

爆風は竜巻と化していたが、
一瞬風向きが変わった。
視界が開き青空が見えてきた。

脱出できるかもしれない。
かすかな希望を持った。


「壁を越えて」

アメリカのど真ん中
一人の小柄な日本人女性の
極限の体験

民族も文化も宗教も
まったく異なる人々と一緒に
手に手を取って逃げた

異なっているとはいえ
いや、異なっているからこそ
人として、同じ人間として
根っこで分かりあえた

すべての違いを越え
人の魂に直接触れた体験だった

行政の素早い対応にも驚いた
そして深く感謝している

日本人の私にも、一定の査定を経て
小切手がポンと送られてきた
わずか一週間後のことである
近隣の消防署には
今も直接出向いて、
感謝の活動を続けている

それまでと
それからとでは
あきらかに自分は変わった

それまではファッションビジネスに
関わっていた
どうしたら利益が出るか?
が関心事だった

それからは
どうしたら人々を支援できるのか?
と強く願うようになった

心の壁が取り払われたのである。

7.18.2013

Rainy day


Rainy day
紫陽花
 何日もシトシト雨が続いている。
 辺りはとても静かです。晴れた日の賑わいよりも、シトシト雨の日に歩くのを好んでいる。
 絶え間なく何かに追われて、せかされながら生きている
 ニューヨークの毎日。雨の日はその動きが停止したようです。一瞬、自分だけに静止した時の恵みを与えられたような気持ちになります。では、と、せかせかとレインシューズ履いて外に出る。
 白樺の木立から雨だれが落ちてくる。敢えて傘をささずに、したたる雨だれの感触を受けながら歩く。
 紫陽花の花が、緑の葉影に潜むように咲いている。雨のしずくに揺れている。

 雨に打たれている紫陽花はもの静かで、美しく、淋しげに見えます。


陽光を浴びている紫陽花よりも、雨が似合います。雨の散歩道はとても静かです。晴れた日は入れ替わり人が座って、賑やかなベンチもひっそりとしています。誰も座らないベンチは、やはり淋しそうに見えます。
 
 
 
 
 
 
 

 中庭のテーブルでは椅子が向かい合ってお喋りしているように見えます。こんな静かな一瞬があるなんて、まさに天の恵みのひと時。白樺林を一陣の風が吹き抜けると雨だれが勢いよく落ちてきました。
 懐かしい日本の梅雨の情景が思い浮かびます。
 
紫陽花を見ると、昨年6月、母の車椅子を押して、我が家の近くを散歩した事を思い出します。
空梅雨の強い陽ざしの下を一年半振りに母は車椅子に乗って自宅周辺を散歩しました。
お手伝いの知人は汗だくになって車いすを押してくれました。家々の玄関口の際に紫陽花が厳しい陽射しにうつむくように咲いていました。それを眺めながら、思い出を語りながらの散歩でした。もう一年前の事なのに、昨日のことのように思えます。今年は行ってあげられませんでした。今日は紫陽花を見て、とても母とのひと時を懐かしく思い出します。
--散歩道で母と眺めた紫陽花iPhoneで撮影--

 
  
 母が完全に入院してからは、我が家に帰っても、もう迎えてくれる人はいなりました。
 ニューヨークに居ても時折、昔は我が家の庭も紫陽花が沢山咲いていた事や、沈丁花の花の香りが表玄関を入ると漂っていた事、父が剣道の練習で打っていたぶどう棚を思い出します。夏の花々、マリーゴールド、露草、向日葵、庭はいつも季節の花が咲いていました。ホースで水をやるのが夏の日課。庭の花たちは生き返ったようで、涼しくなった庭が心地よく、縁側でゴロリとしたのを思い出します。
 子供のころは縁側でよくゴロリとして空ばかり眺めていたのを覚えています。


ボーッとした子だった。お空をジッと眺めている事が多かった。』と祖母は私の子共のころの様子を語ってくれました。私は空を眺めるのが好きでした。
 そして空想して、自分だけの詩の世界にいたことを覚えています。 そんな様子を見て、周りは大変心配していたようです。お向かいに住む、おばさんが、お空をじ~っと眺めている私の小さな背中を見て涙ぐんでいたそうです。『何か淋しくて、亡くなったお母さんを思い出しているのかしらねぇ。』と祖母に話したそうです。いいえ空想の世界にいたのです。幼いころ、父は漫画や少女雑誌を絶対買ってくれませんでしたが、分厚く重いグリム童話や読書に適するものは買ってくれました。ですから文字しかない本を読んで想像していたのです。
 
 今では懐かしい初夏を思い出す我が家の周辺は、すっかり変わってしまいました。時を超えて、ニューヨークで雨音を聞き、雨だれの下を歩きながら。停止した時の空間は、懐かしい情景と、そこに関わる人々、心温かい思い出を運び私を励ましてくれるのです。
 

 
 この一瞬は時を止めてくれる天の恵みです。
 
 
 毎日、時に追われて走り続けるばかりでは、明日へのエネルギーは湧いてこないものです。自分の立っている位置、自分を取り巻く環境、そして自分が持ち続けている希望と目標を再認する時間が必要です。誰も入らない自分の時間を持つことはとても大事です。心の内を綴る一瞬の時間を授けてくれた雨に感謝。

July.2013
Essay&Photo by Akiko Endo