the scent of Jasmine ~ Akiko Endo Essay Blog

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危機管理と奉仕の精神(P.60)

<2011.02.10 第3回私立学校教頭研修会より>

(内容)
心の傷みを分かち合うっていうことなんですけども、アメリカのこの中で申し上げたいっていうのは、危機管理のあり方が目を見張る危機管理と防衛そのものです。これ国防軍がですね、すぐに、もちろん全米からっていうか、もちろんWestPointからもう既にミサイルが15分後に旋回していましたしね。それから20分後には、そうですね、1時間も無かったです。トイレを何百台。それから水、それからもうすごいですよ。マシンガン持ったこういう国防省みたいなこういうのでした本当に。靴も。ドォーって。私は本当に映画観てるみたいでしたね。で、ダダダダダってこのロールの固め合いですよね。金網をここから非常線でドォーって。これはすごい、ズダダダダダって。もう、その、いわゆるフォーミュラが全部入っているわけです。水がまず無ければ。それから電源。どれでもライトを照らし続けなければいけない。もちろん復旧作業もあるし、救出作業も入りますからね。それから電話。電話もですね、これはフリーで全部かけられるようになって、10円を入れて、阪神淡路大震災の時に公衆電話の中で、そういうことないんです。公衆電話もあのときはベライゾンですね、ベライゾンっていう電話会社から簡易の公衆電話がすごい数で、トラックで持ってくるんですね。ダァーっと。通信網張って。そこでフリーで全部かけられるんです。国際電話も全部かけられるんです。それから水、ライトもですね、すごいんですよ。キャップっていう電源を貸す会社ですね。レンタルする。それのトラックがダァーっと入ってきて、ウォールストリートのメインストリートのところのあそこのマンホール、ガッと開けたら、なんとそれが電源だったんです。そこにダァーって、ズボズボズボズボ差していきまして、そこに電力発電所を作っていたんですね。で、ワテイパックシティという非常にここはのどかないいところですけどね、その公園にテントを立ち上げて、だから本当、戦場、戦時でした。テントをダァーって立てて、寝るところバァーって、こうボランティアで引いているんですよね。

そこから復旧作業が1日、半日のうちに、これだけの復旧作業というものの動員がされる国のシステムっていう、どういうものかと思いました。この危機管理なんかがすごかったです。それと同時に危機の論理、formulationって言いましたけども、ニューヨークのup statesこれはもう飛行機で行ったら、3040分ぐらいのところで、あるいは20分くらいで着くところもあるんですけど、そこに貯水池がありますよね。water reserverていうのがあるんですけど。そこも何かがテロが偶発的なことで市民の水に何かをしてはいけないってなってる、そこも全部非常線入ってる。同時にもうゲームのようにタタタタタって出て来たんですね。そこはそこでもボートと、それから金網と、それから一切立ち入り禁止。上から飛行機ということで、半日でこの状況が出来たシミュレーションのすごさ。

で、これはあの、そのときに同時に124時間後には、既に市長とgovernorとですね、ニューヨーク州の州知事と、そういうどうしてこういうもの起きてくるか、普段からこういう組織が出来ているってことですね。そういう危機管理部っていうのがありまして、既にbbc.orgでもうコミュニティの情報発信のボード、ウェブサイトが出来上がってましたので、私達は、知人のところの全部、何が起きているか。青空会議するから来いというので、チャイナタウンの近くのバスケットコートで、私達は、シティの市長さんやその秘書たちとみんなで今後の対策の、政府はどういう支援をするか、子供達が9月に学校が始まる。子供たちだけにはこの痛手を負わせたくないので、サッカーを従来通りやるからって、私達、避難して帰る家無いのに、そんな話をしているんですよ。それで、絵を描かせようかって、絵をまだ持っている人とかって。私達もオフィスに居まして、みなさん、政府が用意してくれたシティが用意してくれたホテルとかそういうところに合宿したんですけども、あ、帰ってきたのは3日後で、で、その後は、翌年まで私達は避難していたんですけどね。

素晴らしいサッカー場があるんですよ。じゃあどこにしようかってそんな話はこの時の危機でね、で、そこに、優秀な良い学校があるわけですね。そうしますとその私立の学校に行けない。じゃああのどこに振り分けるかっていうことはものの見事、3日、4日以内に全部、分校。生徒の名前もどこに振り分けるか。誰々、どこの学校の誰々はbrooklyn、のどこどこの...ってもう出てました。で、サッカーもやるのに本当、お父さん達、あれだけの悲しみの中にあったのに子供達だけがサッカーをしてましたね。タフですね。すごいと思いました。

それからもうひとつは人命と暮らす動物ですね。アニマルレスキュー隊っていうのが同時に来まして、これは動物病院の医師達が組織している、ですからこういう事を体験しているとアメリカの見えない底にあったものが全部見えてくる。じゃあ、日本でこういう事、起きた時に何が出てくるのかなって瞬間的に思ったときに、すごく不安になりまして。そのアニマルレスキュー隊、これは子供達にまず自分のペットが亡くなったか、亡くなってないか、ものすごく心配していたっていうことで、実は、アニマルレスキュー隊っていうのが居て、動物が煙で目をやられてるから目薬で全部差して、そこで保護してくれる。鳥まで全部保護してくれました。そして、どこに行ったかってロケーションも全部書いてあります。どこの地区の何番目の何号室のアパート。これが、あの、まだ猫がね、私のビルのもうひとつ別のビルのところに、猫が何匹か居るっていうので。消防士が入ってね。助けてくれたんですね。だから、助けたのはいいんですけど、1週間後に12匹、子供が産まれちゃったんですけどね。でも、助けに来てくれまして、で、またそのblogで、blogっていうかウェブサイトで、何週間後に子供達は、ペットはどうしているかとか。ハムスター1匹でも心配している。鳥でも心配している。で、優先的にここは、非常線を張って入れないので、水路、水路っていうかハドソン川の上から34丁目から、船を出しまして、子供達を乗せてアニマルレスキュー隊による移動ホスピタルのところで、この動物にどこで行方を発見したっていうのと、保護してありますので、そのまま連れて帰っちゃうんですね。

ですから、それも見てね、驚きました。本当に人命というものを超えて、命というところも原点なんだなっていうことを学びました。そして消防士の人達も一緒に入って猫とか、犬とか助けに行ってくれた。人命というのを超えて、こういうその母体がある中でのボランティアですから、俄か仕立てにボランティアすることが大事だとか、論理とか理屈でしているんじゃないんです。やはり、そのベースというものがあってのことなんだ。ですから、ここで私が日本人として居て良かったと思う事は、そこで日系企業や、日本人の方々、アメリカに渡って成功している人達がどれだけアメリカ社会の中に入っていないかということがよく分かりました。たぶん日本人にしか向かっていないんだな。しかも、アメリカ人のそのお店を使い、そしてそこで物を買い、そしてアメリカ人から恩恵を受けていながら、アメリカにはしていないってことがよく分かりました。donationはしているかもしれません。でも、一気に、ひとつの例でいえば、あの近くにいた高級レストラン、これはもう屈指の5つの中に入るレストランですが、そのところにいたシェフっていうのは、フライパンをもう仕込みしているわけですね。9時、10時の時に。フライパンを持って、このコックのあれ見たまま、走って行っちゃったって言いましたよ。厨房に居る人がみんな。助けに行こうって。で、戻って来たって言うんです。このまま。ですからその日はもちろん営業出来ないわけです。そこがあれだけのダメージがあって、それから入ってくるのもいちいち検閲があるんですけども、そのフードサプライっていうのも、全米で4つくらいの、合衆国の中には、食品を流通させるホールセールの協同組合があるんですよね。で、そこの協同組合のトラックが、1日置きに入ってきました。それはそこでボランティアをしている人。野営をしている国防軍やそこで働く人たちの食品のサプライを全部無料です。で、全部そのレストランにサプライしましてね、レストランの人達は毎日ランチを作っていかれていたんですね。
 
 で、もうあの時は民間のアメリカ人のハンバーガーでその日、その日、そのウォールストリートで働く人達のために屋台を引いて来てするようなハンバーガーを作るおじさんですら、今日1日お金にならない、50食分のハンバーガーを奥さんが、お金が無いって言ってると、俺はいいんだって今日は行くんだって言って、何かハンバーガー屋さんの音楽が鳴るんですけどね、それで来て、みなさんにハンバーガーをサプライしていた。