the scent of Jasmine ~ Akiko Endo Essay Blog

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インディペンデントウーマン(P.111)

<2009.11.10 第1回アジア女性経済会議より>


(内容)
 当時、私にとって、その参考となるビジネス、そのいわゆるロールモデルという方、女性の中に居なかったわけですね。ただ、このDianeとの出会いはですね、私にとって大きな転機になりました。ですから、人との出会いというものは、こうして槇さん、事務局長からお話を頂いて、こうしてこう参加させていただきながらですね、「出会う」ということはすごく大事な事だと、やはり1つの自分のマインドをチェンジしたり、それから生き方もね、変わってきますね。そこに1つのビジネスルールも生まれてくるわけですけども、あの、私はこの自分の中に彼女の一言だけちょっと、今日会場にいらした方にもっと近い、人と人とのふれあいの中でどう女性が、その意識改革出来たかという一節をちょっと読ませていただきたいんですけども、これは私の著書の中にこれ、ちょっと、受付に置いてありますので宣伝するわけではございませんけども、ご興味がありましたらどうぞご一読いただければありがたく思います。

 で、彼女はまさに自立した女性と呼ぶにふさわしい女性だったと印象が語ってあります。で、70年ですよね、私は彼女にこう尋ねました。「自立した女性とはどういう女性を言いますか?」って。Dianeはすぐに、即答しましたね。「自分で責任を持って決断できる女性です」と。一言で答えて、私は若干、この当時、24歳で独立しまして、自分の会社を立ち上げましたので、非常にインパクトのある言葉でした。この決断”decision”っていう一言が実に明確な答えとして私の心を捕えました。すなわち、自分の道は自分の責任において、選択された道であり、誰が決めたものでもなかったということで、私はそこで感を深くして、彼女のブランドのプロモーションにあたったわけですけども。

<2011.02.10 第3回私立学校教頭研修会より>


(内容)
 自分が1960年代後半、70年代からキャリアスタッフ始めまして、そういう、その、女性が未踏だったところに踏み入れた時のいろんな経験の中で、私がいろんな素晴らしい人に出会った。もちろん会社のトップとか会長とか、それは、そこそこの人格者の方々の方から、分かち合えた、その素晴らしい生き方、生き様も確かにプラスになった。いちばん私の心を打ったのは、アメリカでの成功者であるファッション界の国であったDiane von Fustenbergに「仕事をしよう」と言われた時に、この人を日本で導入する時に、アメリカまで会いに行きました。このクイーン的存在の人ですね、だからね。弱冠、彼女は33歳で大成功してました。

 で、彼女は私に言いましたね。33歳でミリオネアになったし、アメリカのファッションクイーンとなった人なんですけども、彼女のアパートメントで話をした時に、「自立する女性っていうのはどういう人ですか」って私が聞いたんですよ。彼女が一言、言いましたよね。「自分で決定できる人間だ」って。「私は全部自分で決定してきた、どっちがいい?あっちがいいって事なかった」って。やっぱり、決定するってことは、リスクを負うことですよね。

 で、そこの一言の中に、私は自分とピンとくる、私の中でまだ足許にも及ばない本当に小物ですけどね。その時に、自分で決める、決めるってことは「あなたが決めたじゃない、だから、こうしてこうなったの」ってこれはもうよく聞くことですね、世の中。自分で決めたものだから、責任持ちます。私は、そうしてきたなって仕事の中でも。

 ですから取締役会の中に居ても、居ても失敗すれば、女性1人でも謝らなければ、やっぱり謝罪しなければいけないとき、「いいわよ」とかって言って、「女性だからいいでしょう」って言ったら終わっちゃう。でも、「あ、これは私がこうしまして、こういう失敗をしました、申し訳ございませんでした、これに関して返します」って言ってこなきゃだめなんだって。

 で、師もそう言う。その、いきなり出てこないんだなって。そのひとつの終焉のときに導き出されるものは、いろいろなですね、データベースですね、データベースっていうのも頭じゃないです。自分が体験し、体感し、経験し、身に刻んだものでなければ出てこないってことですね。