the scent of Jasmine ~ Akiko Endo Essay Blog

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FEMAによる支援(P.56)

<2011.09.04 トークショー(吉祥寺アトレ)より> 


(内容)
  それから米国の目を見張る米国の危機管理。これはすごいものがありました。これはですね、語れません。いかに日本がこの危機管理に関して、脆弱かと思いました。これは本に綴ってあります。それから政府の災害支援、これは、これもまたすごい目を見張るものがありましたね、やはり復興するということの、その商業的な部分での経済支援、それから学校への生徒達に、元に復活させる精神的、経済的支援、それから住んでいた私達に対する外国人に対しても、同時に平等に アメリカの地で被災したというのであれば、米国のその憲法に基づいて、その大統領の一筆のサインですよね、その一声で、大統領権限でその被災に対する全ての額が決まり、一週間後には被災者に、その被災額に対してのエスティメントが出たらば、すぐに一週間後には小切手が来るという、例えば3カ月後の給料が出な い、そうすると来るわけですね。カーテン1つ、それからキッチンの食器1つ、そういうもの全部チェックしに来ます。担当官が。担当官がそれをチェックする とチェックしたエスティメントでここの被災者が例えば100万、200万、300万と。そうするとそれがそのまま、こう、みなさんPOSってデータあるで しょう?よく商品買いに行くとそこにデータ入ってすぅーっていくらですって、よく飛行機乗られると分かりますよね?Duty Free Shopに入られると、こういう機械で出てきてフライトアテンダントがセクション追ってくでしょう。ああいう感じに、被災ナンバーがワシントンD.C.にその場で1秒待たずに届くんですよ。そうすると例えば私の被災IDが001199となったんだとしたら、001199の被災ナンバーくれまして、その元にエスティメントされた被災総額が一週間後に、大統領に、そうFEMAって言ってね、その災害の緊急の組織があるんですよ。そこのトップからのサインが入っ た小切手がもう来てたんですよね。
 
  この立ち上がり方って10年かかっているんですけども、それが10年っていうのは、ただ掘立小屋を建ててんじゃないですね。アメリカの経済に君臨してきたその異名、これからの未来を延々遺すために今してての10年ですから、やはり日本が半年経ってもこういう状況ということで、驚きました。逆に。私はアメリ カで被災してひとりの日本人であっても、米国の法律に基づいてこの地で被災した人間には平等の権利を得るというものをくださいまして、私も、もちろんそ の、米国の政府の災害支援の恩恵に預かりました。まあ長くなっちゃうので、話し始めると1日ですから、すみません。

 あと移民国家アメリカ。179ヶ国の人々との共存の中での被災はですね、大変私にとっていい体験になりました。みなさんここにいるけど、外国人の人いらっしゃいます?います?いないでしょ?ね、毎日の生活が、179ヶ国以上の人々で共存しているその中での被災は文化も伝統も宗教の違いが、混在の中で、その全てを超えて人間として向き合った瞬間だったんです。

 調和、融和、平等、協調、相互理解、公平、平等、平等2回言いましたね。等々のね、不可欠な精神と言いますか、実感したものでした。

 やはりこの179ヶ国の人達が同じ国で同じ法律の下で生きるのはそれだけの協調やいろんなものが必要になってくるわけですね。それで、やはり異文化というものを否定しない、異文化を受け入れながら成長してきたアメリカだから、やはりそれは懐が広いものがありました。

<関連する記事>
・アメリカFEMAに学ぶ:災害に備えた通信手段に関する事前準備8つの心構え:Global Perspective 情報通信総合研究所 2012.08.25

・米国連邦緊急事態管理庁(FEMA)と我が国防災体制の比較論:レファレンス国立国会図書館 2012.05.23