遠藤明子の綴るエッセーと活動を収録したプライベートラブラリーにようこそ。 2001年9月11日、私はグラウンド・ゼロにいた。生き残った私に、癒しの香りが新しい人生はを運んできた。』 想像を超えた悲痛事が人生の新しい章を開いた。 命と向き合った旅路の章から、今、次の章を開きます。一ページづつ、大切に日々の心の思いを綴ります。生きる事の意味を問いながら、9/11突然に天空に散った命を思いながら、綴ります。 どうぞ、いつでもライブラリーにお越しください。
the scent of Jasmine ~ Akiko Endo Essay Blog
1.05.2013
9.11.2012
9.11 Memorial
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| 星条旗のカラーイルミネーションで追悼を表す。 |
第1部
9年前の9月10日の深夜、夜空に輝く月を眺めた時の心境を綴ったノートを今、読み返している。今年は9.11メモリアル、11年目を迎える。あれから11年、言葉に尽くせない想いが込み上げて来る。
心の破片を集めて
2003年9月10日から11日の真夜中
今、ミッドタウンのコンドミニアム(オフィスとして使っている。)にいる。
明日の早朝から住まいのグランドゼロ一帯は同時テロ攻撃から2年目のメモリアルデーが執り行われる為、周辺は交通規制により通常の通勤コースの一部は閉鎖が予定されている。
明日の早朝から住まいのグランドゼロ一帯は同時テロ攻撃から2年目のメモリアルデーが執り行われる為、周辺は交通規制により通常の通勤コースの一部は閉鎖が予定されている。
その為に今晩はオフィスに宿泊することにした。
自宅で2周年を迎えれば、同じ体験をした隣人と慰霊の気持ちも捧げられたかも知れない。また共有した心の破片をかき集める事も一緒にできたであろう。
でもここにいて良かったのかも知れない。そこにいれば耐え難い思いが身を貫く事であろう。
午前2時を過ぎて横たわると澄んだ夜空に冴えた月の存在に気がついた。
煌々として尊厳ある冷たい光がこのマンハッタンを照らしている。
2年前の11日の真夜中にシカゴからマンハッタンに戻った時、ワールドトレードセンターの遥か頭上に輝いていた月と全く同じ輝きであると思った。
あの光景は忘れられない。ツインタワーの最後の一番美しい姿だったかも知れない。
最後の月光の下に輝くワールドトレードセンター、そして翌朝には命絶える瞬間の叫び声をこの耳に聞いたのである。
地を轟かせながら崩れ去ったその光景はあまりに残酷で忘れる事のできない。
悲惨な光景が心に刻まれた。
今、同じ月の下で光に吸い込まれるように過去の実在の中に帰っていくようである。時が止まってひたすら過去に吸い込まれて行くようである。
そう、今も月は変わらぬ輝きを放っている。
9.11の響きは生涯、私の命に響き続けるであろう。歴史の記録には過去に類例を見ない衝撃的惨事として残されていくであろうが、多くの人はやがて忘れていくであろう。
過去が遠くなって行く時に、誰が、この世に実在した一人の人間の生命を賭けの一瞬があった事など思い出してくれようか、そして時が経とうと失った人を偲びつづける家族の深い悲しみなど他人事として忘れていくであろう。
人は皆、今自分が生きていくことに精一杯であり、自分の未来の事で頭が一杯であろう。
私はせめて私の心の9.11を、そしてそれは私という小さな存在に何を語りかけてきたのかを家族、友人達、親しい人々に残しておきたいと思い続けてきた。
生きることの苦しさ、衝撃の体験が生きることに向かわせた事を綴っておこうと思い続けてきた。
2003年9月、2年目にしてやっと忘れ難い事柄を一片一片かき集めてみようと真っ白な紙を広げたところである。
明日もメモリアルサービスが各教会、各所でおこなわれる予定である。
バッグパイプの行進は朝の6時からスタートする予定である。
あの時お母さんのお腹にいた赤ちゃんは9.11が過ぎれば2歳になる。きっと明日、ママとお花を捧げにくるだろう。
花を捧げる自分のパパを永遠に知らない。ママの心の中に生きて、パパは神話の中に生きているだけ。自分の父親の抱擁の感触も彼らは永遠に体験することはない。
彼らの人生が続く限り、9.11は彼らの人生の始まりである。
小さな手に握ったバラの花が優しく秋風に揺れている。
涙は永遠に渇きを知らない。
2003.09.10-11 オフィスにて
Note
2003年5月のメモリアルデーに近い、爽やかな晴れた日、昼下がりに恒例となった慰霊の祈りを捧げに私は二人の友人と、住まいに近接したハドソン河を眺めるプロムナードの仮設メモリアルサイトにお花とキャンドルを持って出かけた。
それは2002年冬以降に設置されたもので、以前は侵入禁止サインがかなり厳格にはり廻らされていたため、世界経済センター側の灰で覆われた小さな公園の金網に遺族はそれどれの思いの気持ちを綴った手紙や詩を挟んでいった。子供はテディベアのぬいぐるみを置いていった。花は山のように積まれていた。まだ異臭が漂うグラウンドゼロだった。
やがてハドソン河に面したプロムナードの小さな石段が聖壇に都合よく出来ていたせいか、そのまま犠牲者の写真から思い出の衣料品などを置き、遺族が日参する場所となった。アメリカン航空、ユナイテッド航 空の乗務員、パイロットの写真は大きく末端に掲げられ、凛々しいキャプテンの制服を着た写真、ユニフォームを着たフライアテンダントの笑顔の写真が胸をつく。
この詩「心の破片を集めて」を著すまでに至る当時の手記がありました。
Note 2003.05.04
何かに表現しなくてはという気持ちにかられる。
まとまりなく、とどまる事なく浮かんでは消えて、浮かんでは消えていく
小さな記憶の破片は、実際には消えることなく、心の奥底に沈んでいるに過ぎないのである。
今日、いつものようにツインタワーの足元にあった消防署の前を通る時だった。
2年半かけてではあったが、道路は随分と整備舗装されてきていたのを改めて感じた。
それは消防署前から少し距離を持って事件現場沿いに通行していた。
しかし、今朝は横断歩道の白い線も引かれて直進で消防署の前を真っ直ぐに通れるようになっていた。
その真新しい白線を踏んだだけで胸がじーんとして涙ぐむのである。
3年前は何気なく通っていた道である。あまりに人通りが多く信号無視をしながら渡った横断歩道。足元に重なるのである。
多くの人の作業でここまで来たという感慨なのである。
こうして復興に一歩一歩が現実生活に現れてくると、沈んでいた破片が浮かんでくるのである。
忘れてはいないのだ。記憶の奥底に沈んでいるに過ぎない、人間の五感の全てが感じ取ったあの一瞬の強烈な記憶はこうして日々の生活に前向きに生きなくてはならない現実に砕けながら沈んでいったのだ。
破片が浮かび上がった時に痛みを感じながら、私はその破片を集めながら、それを認知しながら、思い切って外に出さなくてはいけないと強く思うのである。そうしなければ私の9.11は心の整理がつかないのである。
Note 2003.05.11 Late afternoon
初夏の緑がまぶしい昼下がり。
ツインタワー崩壊により灰をかぶった木々の蘇生は難しく
新しい木々が運ばれて、公園の急ピッチでのクリーンナップのお陰で、今年も昨年と同じ初夏の新緑を見ることができた。
新しく植樹された桜はニューヨークの遅い春に見事に開花。昼下がりにランチを持って公園に人々は集まってくる。この光景は2年前の昼下がりとすこしも変わらない。

本年の暑い夏の昼下がり、4年前の夏もとても暑い夏でした。今、その日を思い出すかのようにこの詩を読み返しました。
Note 2003.05.04
何かに表現しなくてはという気持ちにかられる。
まとまりなく、とどまる事なく浮かんでは消えて、浮かんでは消えていく
小さな記憶の破片は、実際には消えることなく、心の奥底に沈んでいるに過ぎないのである。
今日、いつものようにツインタワーの足元にあった消防署の前を通る時だった。
2年半かけてではあったが、道路は随分と整備舗装されてきていたのを改めて感じた。
それは消防署前から少し距離を持って事件現場沿いに通行していた。
しかし、今朝は横断歩道の白い線も引かれて直進で消防署の前を真っ直ぐに通れるようになっていた。
その真新しい白線を踏んだだけで胸がじーんとして涙ぐむのである。
3年前は何気なく通っていた道である。あまりに人通りが多く信号無視をしながら渡った横断歩道。足元に重なるのである。
多くの人の作業でここまで来たという感慨なのである。
こうして復興に一歩一歩が現実生活に現れてくると、沈んでいた破片が浮かんでくるのである。
忘れてはいないのだ。記憶の奥底に沈んでいるに過ぎない、人間の五感の全てが感じ取ったあの一瞬の強烈な記憶はこうして日々の生活に前向きに生きなくてはならない現実に砕けながら沈んでいったのだ。
破片が浮かび上がった時に痛みを感じながら、私はその破片を集めながら、それを認知しながら、思い切って外に出さなくてはいけないと強く思うのである。そうしなければ私の9.11は心の整理がつかないのである。
Note 2003.05.11 Late afternoon
初夏の緑がまぶしい昼下がり。
ツインタワー崩壊により灰をかぶった木々の蘇生は難しく
新しい木々が運ばれて、公園の急ピッチでのクリーンナップのお陰で、今年も昨年と同じ初夏の新緑を見ることができた。
新しく植樹された桜はニューヨークの遅い春に見事に開花。昼下がりにランチを持って公園に人々は集まってくる。この光景は2年前の昼下がりとすこしも変わらない。
| 早朝のMemorial Tower |
| 建設工事が進捗しています。 |
本年の暑い夏の昼下がり、4年前の夏もとても暑い夏でした。今、その日を思い出すかのようにこの詩を読み返しました。
灼熱の陽の下で、“さようなら老兵”
私は焼けつくような強烈な炎天下でもひたすら歩く。焼け付く陽射しを遮る建物の影を伝って、かすかな風の吹き渡るのを期待して流汗を拭いながら黙々と歩く。
歩かなくては居ても立ってもいられないから歩く。8年目の9.11が巡ってくる、たったその一刻に落ち着かない思いで河沿いの道をひたすら歩く。
ハタハタと靴底の音に気がついて足を止めた。
滝の水音が涼しげに聞こえてくる小さな公園のベンチに腰をおろして靴底を見る。踵の部分が剥離していた。
この靴は9.11の当日、脱出の際に意図して底の厚目のものをと、選んで履いていった靴である。
歩かなくては居ても立ってもいられないから歩く。8年目の9.11が巡ってくる、たったその一刻に落ち着かない思いで河沿いの道をひたすら歩く。
ハタハタと靴底の音に気がついて足を止めた。
滝の水音が涼しげに聞こえてくる小さな公園のベンチに腰をおろして靴底を見る。踵の部分が剥離していた。
この靴は9.11の当日、脱出の際に意図して底の厚目のものをと、選んで履いていった靴である。
避難中もずっと私の足を支え続けた靴である。
”今日その命が尽きた”
”今日その命が尽きた”
私はこの"老兵たる"靴をぬいで最後の姿を写真に収めた。
捨てられずにいたのは同志だったから。 あのとき階段を転げ落ちた時も、リバーサイドを灰を蹴散らして走った時もジット耐えて支えてくれた。
そしてこの8年間、私が土を踏みしめる度にどんな思いを胸に閉まって歩いていたか判っていてくれていたから。
この老兵は2001年8月にCole Hannで購入した。新品だった靴は9月6日から10日まで私とシカゴを旅した。
捨てられずにいたのは同志だったから。 あのとき階段を転げ落ちた時も、リバーサイドを灰を蹴散らして走った時もジット耐えて支えてくれた。
そしてこの8年間、私が土を踏みしめる度にどんな思いを胸に閉まって歩いていたか判っていてくれていたから。
この老兵は2001年8月にCole Hannで購入した。新品だった靴は9月6日から10日まで私とシカゴを旅した。
そして翌日、9.11に遭遇。
私は脱いだ靴をベンチの脇の小さな岩盤の上においた。
8年目に命尽きた。辛かったろうに。誰も知らない心のうちをじっと耐えて老兵だけは支えてくれていた。
私は脱いだ靴をベンチの脇の小さな岩盤の上においた。
8年目に命尽きた。辛かったろうに。誰も知らない心のうちをじっと耐えて老兵だけは支えてくれていた。
胸が一杯になった。笹竹の群生が川風に吹かれてサラサラと音を立てていた。
一刻一刻、たとえ重い足取りであってもひたすら前に向かって歩いてと私にささいていた。
”さようなら老兵”
でもどうしてお前をゴミ箱に捨てられようか。
心の奥で涙が溢れた。
2009.08.11(08.10 18:30 in NY)
最後に昨年、10年目に著したEssayを今一度振り返って第1部を締めくくらせていただきたいと思います。本年の9.11はNYで迎えていますが、昨年はこの詩と共に日本で講演をさせていただきました。
2011年の冬、米国北東部は前年の12月から寒波が襲い、例年にない厳しい冬を迎えた。
ハドソン河に流氷が浮かんでいるのが自宅の窓から見えた。
自由の女神は吹雪の中に黙然とたたずんでいた。
この冬は雪は止むことを忘れてしまったように降り続けた。
戸外には人の姿が見えない積雪を記録した日でも、私はいつも歩くハドソン河沿いの道を歩いた。
河風に煽られて戦慄する白い雪を浴びて一羽のカモメがフェンスにじっと停まっていた。
何も餌を見つけられないのであろう。
黒い防寒着を着た若いカップルが懸命に雪人形を制作していた。
二つの黒い点が黙々と動いていた。静寂の中のモノトーンの世界である。
心も静かなモノトーンの世界になる。
空を見上げれば灰色の空から唯々白い斑点が舞い降りてくる。
灰色の空を見上げればひたすら輪舞のように舞い降りてくる。
その白い雪はやがて白い紙片が舞い降りてきた10年前の灰色の空が私の眼の底から甦って来る。
青く澄み渡った秋空を一瞬にして黒雲が覆い、やがて灰色の空からは石灰色(せっかいしょく)の灰燼に混じって
オフィス内の書類がまるで雪のように舞い降りてきた。
あれは現実だったのである。
そこで繰り広げられた命の救済のドラマとそこに居合わせた人々の誰もが我が命の(ゆくえ)行方を見失った瞬間があった。
10年目にして初めて思うことがある。
あの日のこの歴史的事件の予告を受けていたら、きっと誰もが警備体制と非常線を張って世界貿易センターに警戒していただろう。
今思えば世界を震撼させるほどの事件が計画的な謀略であれば、何故、各国の国家機密情報を掌握し得る機能を持つ米国が計画を事前に関知していなかったと言えようか。
その疑問は、今になって見えてきて現実を知ることになる。
当時は目の前の現実に慟哭し、溢れ出る人間の極限までの感情がその本質を見つめる余裕を与えなかった。
あの日はどこまでも澄み切った秋空が広がっていた。
朝の鳥の鳴き声も清々しく木立のそよぎに響いていた。
秋晴れの1日を、もし何事も無く、いつもように生活を送ったとしたら、と思う。
運命とは予告無きものである。
今の自分とは別人が此処にいるであろう。日々の延長を只送っていたに違いない。
目の前にいる私とは別の私が存在し、此処にいる人々とも巡り会うことはなかったかも知れない。
September 11,それはあの日で人生を閉じたかも知れない自分が、命を閉じた人々と共に生涯関わり続けなくてはならない日なのである。
生きる事の苦しみや悲しみ、そして毎日、自分は生きている実感を当に敏感に感じ続けているのである。
たとえそれが国家謀略のプロットであっても、そこに居たのは平凡な米国市民で有り、居住者であった。
母であり、父であり、兄弟であり、友人であった。
今日の朝食を共にし、朝のコーヒーを飲んだ同僚であった。あの日まで続いた彼らの生活があった。
予告無き事はいつでも起こりうるのである。
だから、惟う。今の一瞬を大切に生きて、悔いなく生きるとは今の時を宝物のように大事にすることであろう。
10年目の年明けの冬はそれは厳しい寒さが襲った。灰色の空から舞い降りる雪。
米国同時多発テロ事件から10年が経つ、自分の生活環境も、世界も変わった。
最後に昨年、10年目に著したEssayを今一度振り返って第1部を締めくくらせていただきたいと思います。本年の9.11はNYで迎えていますが、昨年はこの詩と共に日本で講演をさせていただきました。
10年目のメモリアル
2011年の冬、米国北東部は前年の12月から寒波が襲い、例年にない厳しい冬を迎えた。
ハドソン河に流氷が浮かんでいるのが自宅の窓から見えた。
自由の女神は吹雪の中に黙然とたたずんでいた。
この冬は雪は止むことを忘れてしまったように降り続けた。
戸外には人の姿が見えない積雪を記録した日でも、私はいつも歩くハドソン河沿いの道を歩いた。
河風に煽られて戦慄する白い雪を浴びて一羽のカモメがフェンスにじっと停まっていた。
何も餌を見つけられないのであろう。
黒い防寒着を着た若いカップルが懸命に雪人形を制作していた。
二つの黒い点が黙々と動いていた。静寂の中のモノトーンの世界である。
心も静かなモノトーンの世界になる。
空を見上げれば灰色の空から唯々白い斑点が舞い降りてくる。
灰色の空を見上げればひたすら輪舞のように舞い降りてくる。
その白い雪はやがて白い紙片が舞い降りてきた10年前の灰色の空が私の眼の底から甦って来る。
青く澄み渡った秋空を一瞬にして黒雲が覆い、やがて灰色の空からは石灰色(せっかいしょく)の灰燼に混じって
オフィス内の書類がまるで雪のように舞い降りてきた。
あれは現実だったのである。
そこで繰り広げられた命の救済のドラマとそこに居合わせた人々の誰もが我が命の(ゆくえ)行方を見失った瞬間があった。
10年目にして初めて思うことがある。
あの日のこの歴史的事件の予告を受けていたら、きっと誰もが警備体制と非常線を張って世界貿易センターに警戒していただろう。
今思えば世界を震撼させるほどの事件が計画的な謀略であれば、何故、各国の国家機密情報を掌握し得る機能を持つ米国が計画を事前に関知していなかったと言えようか。
その疑問は、今になって見えてきて現実を知ることになる。
当時は目の前の現実に慟哭し、溢れ出る人間の極限までの感情がその本質を見つめる余裕を与えなかった。
あの日はどこまでも澄み切った秋空が広がっていた。
朝の鳥の鳴き声も清々しく木立のそよぎに響いていた。
秋晴れの1日を、もし何事も無く、いつもように生活を送ったとしたら、と思う。
運命とは予告無きものである。
今の自分とは別人が此処にいるであろう。日々の延長を只送っていたに違いない。
目の前にいる私とは別の私が存在し、此処にいる人々とも巡り会うことはなかったかも知れない。
September 11,それはあの日で人生を閉じたかも知れない自分が、命を閉じた人々と共に生涯関わり続けなくてはならない日なのである。
生きる事の苦しみや悲しみ、そして毎日、自分は生きている実感を当に敏感に感じ続けているのである。
たとえそれが国家謀略のプロットであっても、そこに居たのは平凡な米国市民で有り、居住者であった。
母であり、父であり、兄弟であり、友人であった。
今日の朝食を共にし、朝のコーヒーを飲んだ同僚であった。あの日まで続いた彼らの生活があった。
予告無き事はいつでも起こりうるのである。
だから、惟う。今の一瞬を大切に生きて、悔いなく生きるとは今の時を宝物のように大事にすることであろう。
10年目の年明けの冬はそれは厳しい寒さが襲った。灰色の空から舞い降りる雪。
米国同時多発テロ事件から10年が経つ、自分の生活環境も、世界も変わった。
2011.07.16
第2部
亡き方々への祈り
| 9.11 Memorial Wall |
| 亡くなった消防士達の遺影 |
2012年9月9日の夜、既に慰霊の花とキャンドルが救命に命を懸けた消防士の全員の前に添えられていました。9.11 Memorial Wallには、"Dedicated to those who fell and to those who carry on – May we never forget."と刻まれています。
11年前の9月10日の深夜にシカゴからNYに戻り、最後のワールドトレードセンターをご一緒に見上げた知人が、本年9月9日の夜、冥福の祈りを捧げにグラウンドゼロを訪れました。
その後、この一帯に優しい雨が降り注ぎました。
しばし、11年前の9月11日の想い出がお互いの心に蘇りました。
9月10日、9.11米国同時多発テロ事件で亡くなった方々を追悼するため遺族らが、事件現場の周辺を行進しました。
もうまもなく迎える9.11より11年の歳月を控えて。NYより。
| 晴れ渡ったNewYork 9月10日の写真 |
Essay & Photo by Akiko Endo
8.09.2012
夕刻の夏空
夏の陽ざしが和らぐ頃、私は河添いを北に向かって歩いていた。
自宅から北に向かって歩くときは、白樺の木に囲まれた公園を抜けて行く。
暫し高原の雰囲気を感じながら、好んでこの一角を通り抜ける。
白樺林を抜ける一陣の夏風が心地よい。
昼下がりの陽光に透ける美しい若草色の天蓋が小道を覆っている。
この日、公園を抜け、ヨットハーバーに出た瞬間、清々しい空気に包まれた。
頭上に夕刻の青空が広がり、優雅な刷毛で描いたような雲が翼を広げていた。
羽毛のような雲の形は鳳が翼を広げて頭を西方に向かって棚引き、優美な長いトレーン(尾)に虹彩が施されていた。
五色の虹彩が青空を背景に白い雲の上で神秘的な輝きを顕していた。
この偶発的、自然が創造した壮大な芸術を目の前にして、やがて風に流れて消える一瞬の現象に感動が湧き上がる。
自然が創造した、つかの間の美。まるで天界のメッセージを受け取ったような嬉しさを感じた。この光景を共有した地上の人々に語りかける天からのメッセージかも知れない。
それぞれの感じるままに様々なメッセージが込められているに違いない。
July.27.2012
Photo by akiko endo
夏の夜のグラウンドゼロから
地球の裏側は朝を迎えている。ニューヨークは夜の8時過ぎ。
夕食の後のひと時を人々はそぞろ歩く。
一日の終わりに、ゆっくり歩きながら夜景を眺める。セーリングスクールの人たちが船上でカクテルパーテイーを開いていた。賑やかな声と音楽が河風に乗って来る。
楽しそうだ事。どこの州から来たのか数隻のヨットが停泊していた。ドックまで下りて中を覗いてみる、船室の明かりが漏れて、人の動きが影絵のように見える。
別の船は船室が開け放されていた。ゆっくりとソファーに座って語らっている人々も見える。
ここは9.11の惨事の時に駆け抜けた桟橋である。
こんな穏やかな時が流れているなんて、やはり9.11は夢の出来事だったのだろうか?
こんな穏やかな時が流れているなんて、11年前のこの一帯にビルの残骸が積まれた戦場のような跡地など幻だった、のではないかとさえ思えてくる。
流れていく時を止めることはできない。流れながら、やがて誰が生きて何をしたかなどと忘れ去られて行く。せめて、この星降るような夜景を留めておこう。
満ち潮のハドソン河は水位が上がって、河上に向かって河波が畝っている。
生きているような河音がする。そうですね、動いているもの全ては生きているのですね。
時の波間に消えていった、もう生きてはいないもの達が河波のうねりのように泣いているような気がする。皆に風音もうねりも届けることは出来なくても、このグラウンドゼロの夜景は届けよう。 08/03/12
5.06.2012
『陽だまり』 Sunny Spot
ハドソン河添いを北に向かって
2.5
キロ程の長いプロムナードが私の散歩道である。
四季を飾る花々に縁取られたサウスメドウ(South Meadow)を通り過ぎ、終着地の埠頭までの半分ほどの所に私の座る陽だまりのベンチがある。
この陽だまりのベンチに辿りついて小休止する。
ベンチに座って春夏秋冬、巡る同じ景色を眺めながらそれぞれの季節を綴った懐かしい思い出のページを開く。
河風に吹かれて故人となった人たちとの思い出を辿る。もう一度会って話したい気持ちが込み上げてくる。思い出を引き出して、実在のない時の空間に自分を置いてみる。当にバーチャルな世界を陽だまりのベンチで描いている。
時として歳月の重圧を感じる事もある。
陽だまりのひと時を過ごして、やがて河の突端、埠頭に辿りつく。
船の甲板にいるような気分でデッキチェアーに座って対岸のニュージャージーを眺める。
南に自由の女神とエリスアイランドが見える。カモメが飛んでいる。
河風が心地よい。
Spring.2012
Photo by akiko endo
『夕暮れのグランドゼロ、ヨットハーバー』
時の破片
世界を震撼とさせた大惨事であっても、『時』という不思議な空間の襞(ひだ)に折りたたたまれてしまい、
やがて人々の記憶から忘れ去られてしまうものである。
いかなる悲痛事であっても、自分の体験に刻まれたものでない限り、記憶から抹消されてしまうであろう。
この地球上におきた悲しい出来事は、星の数のように限りなく歴史の襞にたたまれていよう。
それは、どの惨事も悲しい出来事であり、死者の数やその規模で人間の悲しみを比較できるものではない。
そこには、たった一人の人間がいて、大人がいて、子どもがいて、老人がいて……
そこには人間社会の最小単位の家族という絆があり、受けた衝撃と悲痛なまでの悲しみは共通なのだから。
惨事を体験した者の心には、容易に取り除くことのできない無数の破片が刺さっているようだ。
英雄が雄叫びをあげて、焼けただれて倒れたとき、砕け散った焼け焦げた残骸物が胸にあたかも刺さっているような、耐え難い痛みや苦しみが当初はあった。時間と共にその破片の痛みは、やがて自分の一部になってしまうのである。時が経ち自然に癒えたのではなく、傷みが自分の一部になってしまているに過ぎない。それはある拍子にうずき始め、とめどもなく悲しみは溢れてくる。そう、共通の痛ましいものと遭遇したときである。
ナインイレブン
(9.11)を境に自分の航路を模索し、果敢にも一人で小船を漕ぎ出していた。そこには。見えない力に押し出されるような感があった。やってみれば、進んでみれば何かが見えるだろう、といった無謀な旅立ちだった。しかし、そう、動かなくてはいられない、何かに衝き動かされたといってよいのである。とはいえ、先が見えていたわけではなかった。
洋上で先に進むにはもう駄目かと、倒れそうになりながら、ときには暴風雨にあいながら、ただ生きている限り進まなくてはならなかった。航海洋上で出会った素晴らしい人々、そして『生きることに向き合った旅路は』、思いがけない商品開発へと私を導いてくれた。たった一人の旅立ち、私は船のキャプテンであって、舵を握り、ときに甲板清掃人であり、乗船者でもあった。果てしない洋上で自ら出会った体験のおかげで見つけ出したものがある。心を癒す香りである。
。。。。。。。。。。。。。。。著書『
9.11のジャスミン』後書より。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
2008.09.11「『9.11のジャスミン』出版記念パーティーより」
4.14.2012
活動レポート
The Blossom Bash – Subaru Cherry Blossom Festival
スバル・フィラデルフィア桜祭り
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| Banquet Table |
2012年4月に開催されましたフィラデルフィア桜祭りに参加してまいりました。
3月下旬から4月下旬にかけて1ヶ月間、桜が満開になる季節に開催されます。
このお祭りは古く、由来は1926年に遡ります。日本政府からフィラデルフィア市にアメリカ独立150周年を記念して桜の木が贈られたのが始まりです。
以下は、当日の様子を取材したフォトグラファーのブログですが、参加した私たちの写真が掲載されています。
Albfor's Weblog
桜祭り期間中には和太鼓、日本舞踊の伝統芸術、酒、寿司、茶道といった食文化、着物の着付け、映画、芸術等、日本を体験・紹介する様々なイベントが開催されます。写真は獅子舞ですね。
「在ニューヨーク日本国総領事館」
12.23.2011
活動レポート
NY消防署ボランティア活動"Morning Dew"
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| 消防士へのクッキーを作る様子 |
2011年12月23日、消防署訪問ボランティア活動を行いました。
2001年9月11日に殉職した消防士の方々の冥福を祈るために、12月のクリスマスタイムに消防署訪問を行ったのがスタートですが、このボランティア活動を10年目の2011年に再スタートさせようと思ったのです。
10年前にこのボランティア活動を"Morning Dew"「モーニングデュウ」と名づけておりました。即ち朝露の事です。小さな見えない行いを託してモーニングデュウとしたのですが、あの9.11から10年目に本当に再開をしようと心から思いました。
<ボランティア活動に懸ける想い>
(再生ボタンを押してください)
2011年の冬にささやかなボランティア活動を再開しました。その小さい活動は2001年9月11日同時多発テロに被災した直後に始めました。数ヶ月間の避難生活中にも生々しい惨状は脳裏から離れる事は無く、気持ちはグラウンド・ゼロにありました。惨禍の中を救援に駆け付けた人々への支援、そして救済のために命を落とした、多くの消防士たちの冥福と哀悼の気持ちを込めて消防署を訪問したのが始まりです。あのときは誰もが助け合おうという気持ちが湧き上がり、一体感がありました。
しかし、同時多発テロから10年。世界情勢は著しく変化し、世界経済の変動は現実生活を脅かし、皆、明日を生きるための必死な日常へと変わり、過去は遠くなり、共に分かち合った悲しみもいたわりも消えて、人々にとり9.11は遠い存在となりました。けれど季節が何度廻ろうと、遺族の心の中にはグラウンド・ゼロに消えた家族が今もありありと生き続けている。
2011年3月11日、私は東京におり、午後2時過ぎ、激震を有楽町で体感しました。未曾有の自然災害、東日本大震災でした。一瞬にして穏やかな生活を破壊した津波の恐ろしさは世界中の人々の目を釘付けにしました。日本中の、世界中の人々の目が、心が、東北に向けられました。当事者の苦しみや、やり場のない想い、生きる事の苦しさと向き合っている毎日が、私は9.11のあのときの自分の気持ちと重なって感じられてきました。
東北とニューヨークの2つの点をつなぎながら、私はかつてニューヨーカーたちの掲げた旗がまざまざと蘇りました。ツインタワーの画に"We will Never Forget."と書かれた旗の言葉。これを書いた時の想いは、10年後の今、全く同じ気持ちに立っているとは言えないのです。10年後に起きた大震災、3.11とつなぐとき、一瞬の同情や悲しみは共有できても、継続してあのときの想いを貫くのは当事者以外は難しいことだとつくづく思うのです。この時に到り、あの時の人への思いやりと優しさをもう一度、思い出そう。そう思い、活動を再開しました。2011年12月23日、クリスマスホリデーで街が賑わうニューヨーク、小さな小さなデュードロップたちが、お菓子を作り、消防署を訪問し、人命救助で殉職した消防士たちに祈りながら、心温まるふれあいを致しました。その記録の一部をご紹介します。
<ワールドトレードセンター跡地を訪問、消防士達の冥福を祈る>
この場面は、日頃の感謝の想いを込めてNY消防士へ送るクッキーと手紙を用意しているところです。また、現在のワールドトレードセンター跡地を訪問し、亡くなられた消防士達に冥福の祈りを捧げました。
(iphoneより撮影)
<NY消防署訪問の様子>
お休みのクリスマスタイムに消防署を訪問しました。消防士達に渡すクッキー等を持って行きました。消防士達には休みは無く、緊急出動命令で出動していきました。こうして日夜、人々の安全が保たれている事の実感を深くし、忘れてはならないと思いました。
(iphoneより撮影)
詩 dewdrop
(再生ボタンを押してください)
露は誰に知られることもなく、
露は誰に知られることもなく、
光の中で消えていく
人々が眠りのなかから目覚めるころ、命を潤し消えてゆく
たったひとつのしずくかもしれない
ひとつひとつが集まって大地に沁みゆくそのすがた
緑の芝に息吹を与え、そっとどこかへ消えてゆく
ひと知れず
愛するものを一瞬にして失った悲しみは、季節が巡っても消えない
その人と過ごした大切な時間が鮮明に蘇ってくる
「もういないんだね。」、遠くへ行った人々は、心の中に温もりとして残る
「もう帰らないんだね。」、心のなかで問いかけながら、己の命を前へと向かわす
人々の心のなかに、優しさが沁みいるような行い
日常生活の営みのなかで和を広げていたささやかな活動
小さな雫が集まって、ボランティアグループとなった
轟音に崩れ去るツインタワー、そこに駆け付けた消防士たち
その命もかけがえのない雫のひとつ
あの一瞬のドラマは、終生心の奥底に刻まれていく
悲しみと慟哭から、生きる事と命の重みを知った
だからがゆえに、この活動に活かしていく
ツインタワーの命、そこが終焉の場となった人々の命のメッセージ
つねに冥福を祈りながら、そのメッセージを伝えゆく
(著書『9.11のジャスミン』P48,P49より)
Voice by akiko endo
Piano by youko kimura September 11, 2008(Thu.)
Piano by youko kimura September 11, 2008(Thu.)
<Photograph>
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| ミートボール作りをしています |

Photo by akiko endo
9.04.2011
活動レポート
pep you up at the EVENT !
遠藤明子氏トークショー(アトレ吉祥寺)
2001年の9.11 NYの同時多発テロで日本人被災者として生き残り、10年経った今だから語れる多くのエピソードや『9.11のジャスミン』の朗読など、二十五絃箏の演奏とフルートの演奏を交えながら、約1時間のトークショーイベントを行いました。
ここで、講演の中で語らせていただいた一節をご紹介させていただきます。
その日、2001年9月11日はニューヨークは秋晴れの青い空が広がる日でした。
鳥のさえずりが本当に気持ち良く聞こえた清々しい朝でした。その惨事は目覚めた直後に起きました。
なぜ私は生き残ったか、それは半日かかっても、語り切れません。
ただ不思議な力によって、自分の行く方向を導かれるようにその生と死を彷徨しながら生き残ったんですけど、生きているから今、皆様にこの話が出来るんです。
そのために生き残ったのかもしれない。そうして9.11の10年後にちょうど東京に帰国していたということも、同じ気持ちに、東北の人達の気持ちに立てるのかもしれない。
被災って簡単じゃないんですよ。心の中に、形がどんなに復興しても、心の中に受けた傷や悲しみや愛する者を失った人の気持ちって簡単には癒えないんですね。
それはそれは人間ってね、生きようとする力はすごいものがあって、自分は体験しております。あきらめないで最後まで、この一生を生きたから今、生きたんだと思いますね。
多くの方にお越しいただき大変ありがたく思いました。こうして体験を共有できることの嬉しさにしばし有意義な時間を過ごさせていただきました。
トークショーの終了後に著書『9.11のジャスミン』のサイン会やLa Lumpiniの即売会も行いました。

全編のビデオはこちらです。
<Youtube トークショー(アトレ吉祥寺)(2011.09.04開催)>
URL〔http://www.youtube.com/watch?v=bNU-lANzKvQ〕
トークショーの終了後に著書『9.11のジャスミン』のサイン会やLa Lumpiniの即売会も行いました。

全編のビデオはこちらです。
<Youtube トークショー(アトレ吉祥寺)(2011.09.04開催)>
URL〔http://www.youtube.com/watch?v=bNU-lANzKvQ〕
























